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シャンソンと大学時代 [音楽]

セーヌ.jpg
パリ、セーヌ川の夜景。



こんにちは。



今日はシャンソンの日だという。シャンソンに
関しては思い出がある。



私は、楽器はまるでダメだった。ただ、クラシ
ックギター、ウクレレ、ハーモニカには凝って
いて特にギターには熱を入れていた。



当時大橋節夫さんが人気で、あのスチール
ギターが好きで、普通のギターを改造したり
して演奏していた。
ギターの弦を入れ替えマイク機器をつけて
スチールギターにする。
ギターはフレットがあるので、コードさえ覚え
れば簡単に伴奏できる。



ただ、クラシックギターの方はアルぺジオが
難しく「アルハンブラの思い出」などの名曲に
は手が出ず、そこでとん挫してしまい、いつ
の間にかにかギターと疎遠になってしまっ
た。



大学に入ると学園紛争真っ盛り。革マル派
派の全盛時代。そこで生まれたのが歌声運
動。各地に歌声喫茶が誕生し、反戦フォー
クが歌われだした。(うたごえと反戦フォーク
は別物だが)



歌声運動は終戦後からはじまり私の学生時
代が最盛期だったらしい。1970年代には衰
退してしまう。



歌う歌もロシア民謡が中心だった。ロシア民
謡は「ともしび」のように戦いに明け暮れる戦
士の心情を歌った歌が多い。反戦歌と言われ
るゆえんかな。



当時わが大学の先輩「ダークダックス」という
ボーカルユニットが時代を反映して人気となっ
た。マイクもカラオケもない時代。歌う歌はロシ
ア民謡が多かった。
私はそのボーカルグループに憧れて高校の時
から合唱を始めた。



高校は田舎の進学高校。一流大学に入ること
しか認めてくれない世界。ただ勉強のできる人
とそこそこできる人との格差は歴然としていて
予備校に通えば対抗できたかもしれないが片
田舎ではとても無理だった。



わが高校は元男子高校だから、女子は1割も
いなかった。
それをかき集めて混声合唱を始めた男がい
た。私もそれに乗り合唱の世界に入る。
静岡県三島市、初ステージの市民会館では
足がくがく震えたものだ。



さて大学に入り、学園闘争を避けて始めたの
が混声合唱だった。その時の流れが今につな
がるのであるが。



そしてつぶれかけた合唱団の立て直しに青春
をかけることになる。当時はみるからに貧弱な
たった20名そこそこの合唱団からの出発だ。
苦労したのはいうまでもない。
でも今考えて見ると、その時の苦労は無駄で
はなかった。



当時の思い出は今では楽しいことばかり。な
により当時のサークルが今では強大な合唱団
となっている。本当に報われた思いだ。



さて、若気の至りで当時流行っていた、シャン
ソンにも興味をもった。美輪明宏さんの「メケ
メケ」が流行っていた。越路吹雪さんの「愛の
の讃歌」など熱唱したものだ。銀座のシャンソ
ン喫茶の「銀巴里」ではデビュー間もない岸洋
子さんが溌剌として歌っていた。



大学に「シャンソン研究会」なるものがあった。
追っかけみたいなものだが、それでも文化団
体連合会というれっきとした組織に所属してい
たのだから立派なものだ。その部員として、渋
谷、銀座のシャンソン喫茶は常連だった。



渋谷、銀座は我々の学校の行動半径だったか
らおなじみの街。慶早戦(わが校では早慶戦と
は言わない)で勝てば銀座のライオンでドンち
ゃん騒ぎがお定まりコースだった。



シャンソンは流行ったが、それは日本詞であっ
てフランス語のシャンソンではない。
母国フランスの歌に日本語を付けた時点で母
国のシャンソンとは違う文化になってしまった。



歌い方と歌詞を比べてみたら一目瞭然だ。日
本詞は訳詞ではないので、もはや純然たる日
本の歌である。
ただ原語を訳しただけの詩ではとても表現で
きないだろうと思うほど日本詞の完成度は高
いと思う。



まあそれはオペラ、クラシックも同じだ。今年
シューベルトのセレナーデを歌うが、堀内敬
三さんの詞は素晴らしいが訳詞ではない。
日本語で歌う「日本の歌」なのだ。



シャンソンはギターで弾くのはまことに相性
がよく、少ないレパートリーの大半を占めて
いた。
ラテンミュージックとシャンソンは弾き語りで
歌うと本当に素晴らしいと思う。



歌声喫茶ブームは1970年代のカラオケの
台頭とともに終焉する。われわれの世代の
1960年代がブームの最盛期だったようだ。
日本的歌詞のシャンソンブームも勢いが落
ちてしまった。



こう考えると、当時も私の回りにはいつも音
楽があった。それもクラシックというよりポッ
プスの分野。そして合唱を本格的にやりは
じめて、クラシックの扉をたたくようになった
のだ。



本当は真面目な学生として学業にいそしま
なければならなかったのに・・・
勉強一筋で頑張り弁護士、法律家になった
仲間は大勢いる。



部活をやっていれば就職に有利な時代でも
あった。就活に苦労しなかった。すんなり就
職できたのは音楽のおかげかもしれない。
まあ法律家になるという大志はなかったけ
れどもね。



でも会社時代はほとんどブラックだった。今
だったらとっくに問題化していると思う。
今考えると人生脇道にそれてしまった気も
するが後悔してもしょうがない。自分の選ん
だ道だから。



でも音楽のお陰で、人生の黄昏時になって
音楽に囲まれているのだから幸せだろう。
否応なく人生の終焉が迫ってきた今、望む
べくは歌いながら旅立ちたいものだ。
そう、オペラ「アイーダ」のように



動画はグレコの「パリの空の下、セーヌは
流れる」です。
平凡な日常を歌ってますが、それがまた
魅力なのです。







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